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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2444041】 投稿者: 適性  (ID:RfnxxivKKcs) 投稿日時:2012年 02月 25日 10:38

    そこが 問題なんだよ。そこが

  2. 【2444046】 投稿者: ふう  (ID:PwBD6uiB9ts) 投稿日時:2012年 02月 25日 10:42

    皆様お疲れ様です。

    まあ何というか、誰でも自分基準で考えますから軋轢が生じますね。

    日本の教育制度は無理・無駄が多くて、私学にやっても国立大を受験する限りは変な足踏みを余儀なくされます。企業人さんのお子さんが通われた学校の様なシステムこそ、日本に広まるべきなのかもしれません。

  3. 【2444057】 投稿者: 弱点  (ID:a98wIn4vqsQ) 投稿日時:2012年 02月 25日 10:48

    今ちょっと気になっているのは、ここでの個人あてに1レスするレスの仕方です。
    エデュは連続投稿は禁止みたいですし、
    新着書き込み一覧でもときどきご迷惑をかけているようです。
    多少長くなりますが、すごい長文にならない限り、
    エデュのルールは守ったほうがいいように思います。

    無常感さん
    お考えいただき、ありがとうございました。
    私自身は、人は自分の思いどおりにはならないと思っていますので、
    質問に答えてもらえたら、感謝しかないです。
    以前、シルバースプーンさんがミクロの子どもたちを見るとおっしゃいました。
    そのとき、いいことをおっしゃるなあと思ったんです。
    それぞれの事情も合わせてミクロで見ると、悪い子はいませんよね。
    これ、大人だってそうだと思うんですよ。
    適性さんも、もちろん無常感さんも、他の方もみんな考え方は違っても、いい人です。
    時には黙ることも必要ですが、黙らないことも必要だと思います。
    黙るお気持ちもわかりますが、黙っていると理解してもらう機会を失います。
    私は荒れたっていいと思うのですよ。ほんのちょっとでも理解が深まるなら。

    資本主義社会の公教育さん
    スレごとバッサリはときどきあるようですが、
    悩まれているスレは公立高校板にあった助成金のスレだったのでしょうか?
    適性さんが何度もひどい部分のコピーを貼り付けているのに、
    ここでは助成金の話を普通に冷静に話されていたように思うのですが…。
    記憶が飛んでしまったのは、スレが消えたせいかもしれませんね。
    自分のせいと思われたのではないですか?
    きっと管理人さんが忙しかっただけですよ。ご自分を責めないでください。

  4. 【2444059】 投稿者: 量的(家庭絡みの2つの雑談)  (ID:OSUXmG3sukw) 投稿日時:2012年 02月 25日 10:49

    企業の対応については、様々議論があると思います。
    親の不安(=家庭の側の意識)というのは理解ができ、とっても大きいのではないか、と思います。

    まったり書きたいと思います。

    (1)家庭の役割の比重?
    都立高校の先生方(&中学校の校長・副校長)お話をすると出てくるのは、結局家庭なんです、ということ。彼らは、先生の集団の中でもトップ層なので、自分ができることはされた、すなわち、決して、責任逃れをしてきた方々ではない。その方々が、家庭の意識だ、家庭の環境こそキーだと仰っていることがあります。

    少し考えを進めます。仮に大学卒業時の22~23歳とし、その時点で自問自答すると非常にざっくり考えると、

    6割:もってうまれたもの
    2割:家庭
    2割:学校や校外活動(塾・研修・セミナーなど含む)

    が貢献したイメージを持ちます。次にそれをひとつずつ考えると、

    1.もってうまれたものは、IQだけではなくて、努力する気質とか、注意力、観察力などの知的作業の適性が含まれるイメージでざっくり考えます。(配分はおおざっぱな仮置きですが、イメージとして±1割の誤差くらいのイメージで進みます。)また、この数字は、もってうまれたものに配分が多すぎるかとの議論がアルかも知れませんが、高校生にもなると、自我もはっきりしてきますし、親の言うとおりにしないことも結構あります。また、中学生、小学生でどうかと聞かれればラフな量的検討の中で、大して変わらないのではないか、と思います。中学生くらいだと人生経験で得る部分はなく、まだ親から貰ったもので生きているところがまだまだ多いと思います。才能や性質の部分は、同じ親から生まれても多様です。そういう多様性を維持するようになっているからでしょう。この才能の発言は、遺伝子におそらくタイマーがついているので、3歳くらいで20歳に発言する性質は予知できないこともあります。逆に「栴檀は双葉より良し」ではないですが、萌芽がみられる部分もある。

    2. 家庭の部分は、様々です。離婚率が上昇した現代では女性の自由度が上がった分、様々な形態の婚姻形態もあるでしょうし、仕事も様々にしていますので、それによってこどもの置かれる家庭環境は、一見同じような見かけでも、実は違いが大きいのではないかと思います。父親の関与についても、4000時間/年くらいはたらく人は家庭を顧みる余裕がなく、母子で教育に当たらざるを得ないでしょうし、1800時間/年くらいならば、大抵のことは家庭でもフォローができるはず。

    3.学校の提供する教育とは、と考えると、これもいろいろ細かいことを言えば気になるのが実際です。しかし、生徒ひとりひとりの個性は実に多様で、感じ方受け容れ方も多様なのに、マスプロ教育せざるをえないという効率のわるいものをコストの制約から採用しています。ですからそれほど期待しては酷です。その中での努力です。
    (否定的に言っているのではなく、教育という膨大なコストがかかることを行うには、現状、基本線がマスプロ教育しかないのは当然です)

    すると、どこの学校にいっても実質面だけ見れば、大差がないか、そうだと思われます。(勉強の習慣がつくかとか、言われなくても調べるとか、興味をもつ、ということは、きっかけとしては大きいですが、どの学校も多少なりやっているという意味では、学校同士の差で見れば大きくないかもしれません。)

    それで、学校+校外活動の違いと言っても、全体として見たらわたしは大差ないだろうと思っています。(異論ある方おられるとは思っていますが)

    有力私立&課外活動(鉄緑)などの組み合わせだと、結果として、良い学校に行く人が2名に1名以上だということで、実績がすごいように見えるとはなりますが、結局できる生徒を集めて、普通のことをしてくれているだけのことです。そこに「できない子」が行けば、できるようになるのかと言えば、NOというのが私見です。例えば、街場の塾で、丁寧に指導して貰って学校のレベルに追いつく方が先ですよ。そして、勉強は、基本的に自分でするべきもので、できるものだからです。

    ですから塾の使いすぎ/依存のしすぎ、という観点で言えば、そこに弊害があってもでてくることは、「上手につかえば?」ということです。

    では鍵は何かと言えば、基本的な生活基盤・生活習慣(親が朝飯を抜かせない、弁当を作ってもたせる、携帯やネットを自由にさせない、思いやりを持ってひとに接する、言葉に気をつける、人を怒らせる不用意なことを言わない)、それに読書や知的なものを大事にする態度、人生に向かう姿勢<「勉強したから今がある」という背中で語る部分> などこどもに家庭が提示する部分になるのだと理解されます。ここに私立も公立もない。親の直接/間接の教育・あるいは日々の態度です。

    しかし、当然、親も、すねに傷を持つ部分があって、「そうはいっても、親がそんなに模範をしめせない」となったり、親自身が社会の荒波で翻弄されて生活が苦しくなるケース、精神的に余裕がなくなるケースなど、こどもへの配慮ができないなども当たり前にあるわけです。(よほど恵まれた人以外は、ほんとは全員そうでしょう)

    で、、不安になって、学校に頼ったり、塾に頼ることもあり得る。つい頼ることも出てくる。・・・塾のいいなりに金を出して塾浸けにする弊害なども見える訳ですが、なにがまずいのか、と考えると、塾にいく弊害もあって、それでじっくり考えることができなくなり、「反射」で処理するようになり、考えなくなることがあります。同時に、家庭がすべきことを放棄して、ノウハウが伝承されない。また塾に時間を取られて、本来学ぶべき、多分野に亘る学び(=知)に触れることがなくなることや、積極的に計画を自分で立てて実現する実行力がおろそかになることが問題です。

    これは、全てではないが、ハイライトするとして家庭の問題な訳です。これを学校の門ぢあとすると解決しない。ですから、議論の順番として、見えてくることは、まずは、塾の宣伝にさらされる前に、「こどもの教育とは、なにがあれば、その子にとってよいのか、を生徒目線でひとりひとり考えてみる」 ことを家庭で行うことではないでしょうか。大事なことは、それは親一人が、悩むのではなく、(かぎられた能力で、結論をだせないのは誰もが一緒です)カウンセリングを複数受ければ結構、深まって、参考になる知見が増えるものです。(*)また、このスレッドのようなものも、その契機かもしれません。

    (2)首都圏何世代目?
    さて、別の切り口で、「首都圏での世代を意識する」ということがあります。これは会社のある先輩が、わたしに15年前のあるとき語ったことから気づいたことですが、都市、特に首都圏にでてきて、一軒家を構えて、こどもを有力な私学にきちんと入れるというのは、簡単なようで至難の業で、1世代ではできないというものです。わたしはそれを聞いて事実だと思います。(ご本人は、高校は私学で、関西の難関国立大学の出身です)

    どういうことかというと、第1世代あるいは第2世代は余裕がないので、なりふり構ってはいられない、住むところ、あるいは社会での居場所をみいだすことに汲々としてしまう。・・・それがなんとか乗り切って、定着が見えてしてくれば、次の段階として、第3、第4世代で、生活面や、職業などの選択でも、少しなりとも改善する。言い換えれば、いきなりグレードは上げられない、本来、無謀だということです。また、上げるのが絶対目標か、といわれるとそうでもない、という「価値観」も時代と共にでてくる。上昇志向も限りがある。

    これの意味することは、塾や、予備校は、直ぐに志望が手に入るように言っているけれども、塾や予備校にちょっと通った位でギャップが埋まるほど甘くない。直ぐに、手がとどくような「幻想」が目の前に映されやすく、マスコミ的にそれにならされていることではないでしょうか。(***)

    命をつないで、遺伝子のバトンを受け継いで、競争の激しい時代に生きる知恵を学び生きていくことために、公教育&私教育の総体があるのであり、その具体例が、今の時代、政治・経済のグローバルな影響をうけやすい時代(グローバル社会)というわけですが、その注目すべき点は、「各々がおかれる立ち位置の、家庭での確認」が出発点なのかも知れないデス。結局、多様な家庭の有り様の中で、なにを狙うのか、をぶれなく、こころに持ち、それぞれの「必要な教育」実行することのような気がします。(****)

    この2つ目の議論を書いた理由は、家庭のポジショニングをする時のひとつの注目点として、という意味合いで書きました。

    (*)
    わたしの親は、高校時代に、取引先の東大の教授の家にこども(わたし)を遊びに行かせてくれましたが、そういうものも、
    わたしにとって、プラスだったと共に、わたしが訪問した後に、おそらく父がしたであろうこと、つまり、先生に、向いているのかどうかを尋ねたであろうこと、が親自身の目を拓いているだろうことです。そういうことを父は、弁護士やさまざまな職業の人について、してくれました。

    (**)
    その部分というのは、深掘りすれば、そういうものとして、受け止めて、将来の肥やしにするくらいだと思います。実際、第4世代、第5世代になっても、現代の都市の知的社会では、リセットがかかる。地主層の特権などとは違っているので、こどもは最初から学力に多少ウェートの置かれた同世代の競争に再度入ることになります。その意味では大学受験というのは、本来、高校を卒業できさえすれば、名門校でも、通信教育でも、大学検定でも、比較的容易な基準でだれでも同じ試験受けられるし、参考書・問題週の類は、中世の時代などと違って庶民にとっても比較的安いので、公平性があります。じっさい、日本は、大学入試もできるだけ塾・予備校のアル部分、付け焼き刃な教育だけでは太刀打ちできない問題を出すように工夫されているので、(ここが生命線)考える力がないと解けないようには工夫されてはいます。・・ただ、一部にパターンで解く力を猛烈につけてしまうと、大学入試には入るけれど、道の問題に取り組む力が全くない、歯が立たないということになって、不毛な議論がすきな学者(の卵)ができてしまいます。

    (***)
    わたしは、名前出して悪いのですが、企業人さんのようにきわめて短時間で、自分の周りの世界の平均レベルから逸脱して違う世界に入っていくという例というのは、レアだと見ています。普通で言えば3世代くらいかかることを1世代でできたりしているように見えます。

    (****)
    必要な教育がそれぞれの地域、それぞれの仕事で全く違うのは当然です。例えば、漁業であれば、知的分野に限っても、魚の習性の学習、漁場の理解に始まり、水産物の最新経済のウォッチ(燃料代のインパクトと見通し/高く売れる魚の時期・種類の把握など)、安全管理・技術進歩の把握、領海の問題の理解(法律)、ソナーなど船の技術進歩の理解、補助金の問題の扱い方、職種に合わせた会社経営の仕方、などちょっと思いつくだけでも難しい項目が沢山あると思います。これらは首都圏の知的生活をめざす家庭のITEMとほんとのベースは共通しているとはいっても、普遍性はありません。

    判断さんWrote
    >実際、ある企業の就職説明会に参加できる、できないは大学名で判断されるみたいな話もありますよね。 そういうことが、親の不安をあおり、受験で上へ上へとなってしまっている要因の一つだと思います。 親の力が強すぎると、それが行き過ぎてしまうケースがあるという…。 親の不安の投影なんでしょうね。

  5. 【2444076】 投稿者: 凡才  (ID:O8OAZtXMIUI) 投稿日時:2012年 02月 25日 11:02

    そろそろ私立中学の価値についての前向きな議論に戻りましょう。

  6. 【2444087】 投稿者: 量的(家庭絡みの2つの雑談)  (ID:OSUXmG3sukw) 投稿日時:2012年 02月 25日 11:10

    すみません、少し直しました。


    企業の対応については、様々議論があると思います。
    親の不安(=家庭の側の意識)というのは理解ができ、とっても大きいのではないか、と思います。

    まったり書きたいと思います。

    (1)家庭の役割の比重?
    都立高校の先生方(&中学校の校長・副校長)お話をすると出てくるのは、結局家庭なんです、ということ。彼らは、先生の集団の中でもトップ層なので、自分ができることはされた、すなわち、決して、責任逃れをしてきた方々ではない。その方々が、家庭の意識だ、家庭の環境こそキーだと仰っていることがあります。

    少し考えを進めます。仮に大学卒業時の22~23歳とし、その時点で自問自答すると非常にざっくり考えると、

    6割:もってうまれたもの
    2割:家庭
    2割:学校や校外活動(塾・研修・セミナーなど含む)

    が貢献したイメージを持ちます。次にそれをひとつずつ考えると、

    1.もってうまれたものは、IQだけではなくて、努力する気質とか、注意力、観察力などの知的作業の適性が含まれるイメージでざっくり考えます。(配分はおおざっぱな仮置きですが、イメージとして±1割の誤差くらいのイメージで進みます。)また、この数字は、もってうまれたものに配分が多すぎるかとの議論がアルかも知れませんが、高校生にもなると、自我もはっきりしてきますし、親の言うとおりにしないことも結構あります。また、中学生、小学生でどうかと聞かれればラフな量的検討の中で、大して変わらないのではないか、と思います。中学生くらいだと人生経験で得る部分はなく、まだ親から貰ったもので生きているところがまだまだ多いと思います。才能や性質の部分は、同じ親から生まれても多様です。そういう多様性を維持するようになっているからでしょう。この才能の発言は、遺伝子におそらくタイマーがついているので、3歳くらいで20歳に発言する性質は予知できないこともあります。逆に「栴檀は双葉より良し」ではないですが、萌芽がみられる部分もある。

    2. 家庭の部分は、様々です。離婚率が上昇した現代では女性の自由度が上がった分、様々な形態の婚姻形態もあるでしょうし、仕事も様々にしていますので、それによってこどもの置かれる家庭環境は、一見同じような見かけでも、実は違いが大きいのではないかと思います。父親の関与についても、4000時間/年くらいはたらく人は家庭を顧みる余裕がなく、母子で教育に当たらざるを得ないでしょうし、1800時間/年くらいならば、大抵のことは家庭でもフォローができるかもしれません。

    3.学校の提供する教育とは、と考えると、これもいろいろ細かいことを言えば気になるのが実際です。しかし、生徒ひとりひとりの個性は実に多様で、感じ方受け容れ方も多様なのに、マスプロ教育せざるをえないという効率のわるいものをコストの制約から採用しています。ですからそれほど期待しては酷です。その中での努力です。
    (否定的に言っているのではなく、教育という膨大なコストがかかることを行うには、現状、基本線がマスプロ教育しかないのは当然です)

    すると、どこの学校にいっても実質面だけ見れば、大差がないか、そうだと思われます。(勉強の習慣がつくかとか、言われなくても調べるとか、興味をもつ、ということは、きっかけとしては大きいですが、どの学校も多少なりやっているという意味では、学校同士の差で見れば大きくないかもしれません。)

    それで、学校+校外活動の違いと言っても、全体として見たらわたしは大差ないだろうと思っています。(異論ある方おられるとは思っていますが)

    有力私立&課外活動(鉄緑)などの組み合わせだと、結果として、良い学校に行く人が2名に1名以上だということで、実績がすごいように見えるとはなりますが、結局できる生徒を集めて、普通のことをしてくれているだけのことです。そこに「できない子」が行けば、できるようになるのかと言えば、NOというのが私見です。例えば、街場の塾で、丁寧に指導して貰って学校のレベルに追いつく方が先ですよ。そして、勉強は、基本的に自分でするべきもので、できるものだからです。

    ですから塾の使いすぎ/依存のしすぎ、という観点で言えば、そこに弊害があってもでてくることは、「上手につかえば?」ということです。

    では鍵は何かと言えば、基本的な生活基盤・生活習慣(親が朝飯を抜かせない、弁当を作ってもたせる、携帯やネットを自由にさせない、思いやりを持ってひとに接する、言葉に気をつける、人を怒らせる不用意なことを言わない)、それに読書や知的なものを大事にする態度、人生に向かう姿勢<「勉強したから今がある」という背中で語る部分> などこどもに家庭が提示する部分になるのだと理解されます。ここに私立も公立もない。親の直接/間接の教育・あるいは日々の態度です。

    しかし、当然、親も、すねに傷を持つ部分があって、「そうはいっても、親がそんなに模範をしめせない」。 親自身が社会の荒波で翻弄されて生活が苦しくなるケース、精神的に余裕がなくなるケースなど、こどもへの配慮ができないなども当たり前にあるわけです。(よほど恵まれた人以外は、ほんとは全員そうでしょう)

    それで、不安になって、学校に頼ったり、塾に頼ることもあり得る。つい頼ることも出てくる。・・・塾のいいなりに金を出して塾浸けにする弊害なども見える訳ですが、なにがまずいのか、と考えます。確かに塾にいく弊害もあって、それでじっくり考えることができなくなり、「反射」で処理するようになり、考えなくなることがあります。同時に家庭がすべきことを放棄して、ノウハウが伝承されないことがある。また塾に時間を取られて、本来学ぶべき、多分野に亘る学び(=知)に触れることがなくなることや、積極的に計画を自分で立てて実現する実行力がおろそかになることが問題です。

    これは、全てではないが、ハイライトするとして家庭の問題な訳です。これを学校の問題すると解決がしない。ですから、議論の順番として、見えてくることは、まずは、家庭での問題と見て、塾の宣伝にさらされる前に、「こどもの教育とは、なにがあれば、その子にとってよいのか、を生徒目線でひとりひとり考えてみる」 ことを予め家庭で行うことではないでしょうか。大事なことは、それは親一人が、悩むのではなく、(かぎられた能力で、結論をだせないのは誰もが一緒です)カウンセリングを複数受ければ結構、深まって、参考になる知見が増えるものです。(*)また、このスレッドのようなものも、その契機かもしれません。

    (2)首都圏何世代目?
    さて、別の切り口で、「首都圏での世代を意識する」ということがあります。これは会社のある先輩が、わたしに15年前のあるとき語ったことから気づいたことですが、都市、特に首都圏にでてきて、一軒家を構えて、こどもを有力な私学にきちんと入れるというのは、簡単なようで至難の業で、1世代ではできないというものです。わたしはそれを聞いて事実だと思います。(ご本人は、高校は私学で、関西の難関国立大学の出身です)

    どういうことかというと、第1世代あるいは第2世代は余裕がないので、なりふり構ってはいられない、住むところ、あるいは社会での居場所をみいだすことに汲々としてしまう。・・・それがなんとか乗り切って、定着が見えてしてくれば、次の段階として、第3、第4世代で、生活面や、職業などの選択でも、少しなりとも改善する。言い換えれば、いきなりグレードは上げられない、本来、無謀だということです。また、上げるのが絶対目標か、といわれるとそうでもない、という「価値観」も時代と共にでてくる。上昇志向も限りがある。

    これの意味することは、塾や、予備校は、直ぐに志望が手に入るように言っているけれども、塾や予備校にちょっと通った位でギャップが埋まるほど甘くない。直ぐに目標に手がとどくような「幻想」が目の前に映されやすく、マスコミ的にそれにならされていることではないでしょうか。(***)

    命をつないで、遺伝子のバトンを受け継いで、競争の激しい時代に生きる知恵を学び生きていくことために、公教育&私教育の総体があるのであり、その具体例が、今の時代、政治・経済のグローバルな影響をうけやすい時代(グローバル社会)というわけですが、その注目すべき点は、「各々がおかれる立ち位置の、家庭での確認」が出発点なのかも知れないデス。結局、多様な家庭の有り様の中で、なにを狙うのか、をぶれなく、こころに持ち、それぞれの「必要な教育」を実行することのような気がします。(****)

    この2つ目の議論を書いた理由は、家庭のポジショニングをする時のひとつの注目点として、という意味合いで書きました。

    (*)
    わたしの親は、高校時代に、取引先の東大教授の家にこども(わたし)を遊びに行かせてくれましたが、そういうものも、 わたしにとって、プラスだったと共に、わたしが訪問した後に、おそらく父がしたであろうこと、つまり、先生に、向いているのかどうかを尋ねたであろうこと、が親自身の目を拓いていただろうことです。そういうことを父は、弁護士やさまざまな職業の人について、してくれました。

    (**)
    その部分というのは、深掘りすれば、そういうものとして、受け止めて、将来の肥やしにするくらいだと思います。実際、第4世代、第5世代になっても、現代の都市の知的社会では、リセットがかかる。地主層の特権などとは違っているので、こどもは最初から学力に多少ウェートの置かれた同世代の競争に再度入ることになります。その意味では大学受験というのは、本来、高校を卒業できさえすれば、名門校でも、通信教育でも、大学検定でも、比較的容易な基準でだれでも同じ試験受けられるし、参考書・問題週の類は、中世の時代などと違って庶民にとっても比較的安いので、公平性があります。じっさい、日本は、大学入試もできるだけ塾・予備校のアル部分、付け焼き刃な教育だけでは太刀打ちできない問題を出すように工夫されているので、(ここが生命線)考える力がないと解けないようには工夫されてはいます。・・ただ、一部にパターンで解く力を猛烈につけてしまうと、大学入試には入るけれど、道の問題に取り組む力が全くない、歯が立たないということになって、不毛な議論がすきな学者(の卵)ができてしまいます。

    (***)
    わたしは、名前出して悪いのですが、企業人さんのようにきわめて短時間で、自分の周りの世界の平均レベルから逸脱して違う世界に入っていくという例というのは、レアだと見ています。普通で言えば3世代くらいかかることを1世代でできたりしているように見えます。

    (****)
    必要な教育がそれぞれの地域、それぞれの仕事で全く違うのは当然です。例えば、漁業であれば、知的分野に限っても、魚の習性の学習、漁場の理解に始まり、水産物の最新経済のウォッチ(燃料代のインパクトと見通し/高く売れる魚の時期・種類の把握など)、安全管理・技術進歩の把握、領海の問題の理解(法律)、ソナーなど船の技術進歩の理解、補助金の問題の扱い方、職種に合わせた会社経営の仕方、などちょっと思いつくだけでも難しい項目が沢山あると思います。これらは首都圏の知的生活をめざす家庭のITEMとほんとのベースは共通しているとはいっても、普遍性はありません。

    判断さんWrote
    >実際、ある企業の就職説明会に参加できる、できないは大学名で判断されるみたいな話もありますよね。 そういうことが、親の不安をあおり、受験で上へ上へとなってしまっている要因の一つだと思います。 親の力が強すぎると、それが行き過ぎてしまうケースがあるという…。 親の不安の投影なんでしょうね。

  7. 【2444188】 投稿者: 視点  (ID:1pHT5OfLTaw) 投稿日時:2012年 02月 25日 12:36

    皆さん無常感さんを追い出そうしたらだめですよ。
    議論の価値は意見の多様性にあるわけで、少数意見にはそれだけで価値があるのです。
    正しい意見はAさんが言おうがBさんが言おうが正し意見。
    大事なのは、その人の属性ではなく、その意見が正しいかどうかです。

    私は個人攻撃をしないと指摘頂きましたが、それは私の関心は、意見の中身であり、その人の属性ではないからです。
    だから意見に対して「おかしいですよ」ということはあっても、その人のことをけしからんとはならないのですね。

  8. 【2444194】 投稿者: 視点  (ID:1pHT5OfLTaw) 投稿日時:2012年 02月 25日 12:40

    それに、ここで無常感さんの書き込みにノーと言えるのは管理者だけですね。
    ここのどなたにも「立ち入り禁止」という権限はありません。

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