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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2330675】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 17日 20:26

    根本的さん

    >ただ、私は、明治維新の成功というのは、日本の宗教的権威としての天皇の存在によるところが大きいのではないかと思っております。古代から続いてきた一種のプリンシプル。「尊王攘夷」なんていう脊髄反射みたいなものではなくて。

    たしかに、そうですね。

    天皇の 伝統的な宗教的権威 と 尊王攘夷思想 は違いますもんね。

    尊王攘夷は、朱子学・・中国からの輸入物。
    江戸幕府の統治の原理のため導入した朱子学が、水戸学として脈々と息づき、
    倒幕のための原理として跳ね返ってくる・・歴史って皮肉なものですね。

    >そうなんですよ。おもしろければ、すべてよし。おもしろいんですよ。無常感さんは。でも、おもしろがっているのは、私だけかなあ?でも、いいダシもとれるし。でも、あんまり薮をつつきすぎると蛇が出るかな?ちょっと怖いですね。

    私もおもしろければ、それでよしですよ。
    根本的さんの実力はさすがですね・・会話のしごたえがあります。

    蛇なんか出ません・・これからも会話を楽しみましょうね。 

  2. 【2330692】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 17日 20:41

    >井沢さん、週刊文春だったか新潮だったかに連載していて、最初は面白いと思ったのですが、だんだんつまらなくなって、読むのをやめてしまいました。
    なんか、怨霊信仰で歴史が動いていることを証明するために歴史を語っているような、本末転倒の歴史観のような感じがしました。(企業人さん)

    週刊ポストですね・・最初は、足利義満の王権簒奪説の紹介でした。

    根本的さんには悪いのだけど、私も井沢元彦さんは途中でつまらなくなったのですね。

    企業人さんがおっしゃるとおり、ちょっとワンパターンというのもありますが、
    ネタ元をたくさんかき集めて、拡張解釈しているだけのような気がしたからですね。

    足利義満の王権簒奪は今谷明氏、怨霊信仰は言わずと知れた梅原猛氏
    ・・といった感じでネタ元がある。

    梅原氏の本を読んだときのようなドキドキ感が無いのですね・・
    ちょっと、オリジナリティに欠けないか?・・というイメージがあります。

  3. 【2330698】 投稿者: 地域、時代  (ID:elgBrxygLEg) 投稿日時:2011年 11月 17日 20:48

    物理的、精神的に近く、共感部分もほぼ一致し、この属性の価値観が、一元化に近づいた場合(蜂の巣のように)、個の存在が薄まり(個の考えの近似化によって自分も他者もほぼ同じような価値観を共有した場合)属性の利益を優先する行動を(外側から見て利他的行動)とる可能性もあるんじゃないかなって....つまり、主体性を発揮し難い環境になるとは、考えられませんか?

    信頼感様

    適性様ー私、 信頼感様ー私。
    と、私はお2人とはすごく物事の捉え方が似ているような気がしているのです。
    だから、適性様のおっしゃる事、じっくり考えてみて下さい。
    「そうか!!」って納得出来る部分が導き出される気がいたします。

    人間は「蟻でもなければ蜂でもない」。と、ここの部分を取っ払って考えると適性様のおっしゃる事が理解しやすくなってくるような気がします。
    私はよく戦国時代のドラマの合戦場面を見ていて、理不尽に感じるのです。
    あと、ハリウッド映画の主人公が相手方をバンバン拳銃で撃ち殺して行く場面も。。。
    武将、主人公の死はとても大きく扱われますが、その他大勢の歩兵、その他大勢の悪役の死はそのようには描かれない。
    そうではないですよね。
    現実は一人の歩兵、ちょっとした悪役の後ろにも親がいて兄弟がいて、、一人の歩兵の死も、武将の死と同じ悲しみを身内に与えるのが「人の死」ですよね。

    また
    「~主体性を発揮し難い環境になるのか?ならないのか?」の話なのですが
    それは「調和」している状態ではないでしょうか?

    私はピアノを少し弾きますが、合唱、連弾、合奏の時は全体の音を調和させないといけませんよね。
    それを私は「主体性のない状態」とは思わないのですよ。
    一人一人が、強い主体性を持っているからこそ「調和出来る」のだ、、と私などは思います。
    信頼感様はこの世界のプロ。
    私なんか理解したくとも出来ない、深くて素晴らしいこの「調和」の状態を体感なさり、理解なさっている気がいたします。

  4. 【2330876】 投稿者: 地域、時代  (ID:elgBrxygLEg) 投稿日時:2011年 11月 17日 23:15

    企業人様

    企業人様が教えて下さったお店が亀屋陸奥みたいなんです。
    ネットで調べたら、亀屋陸奥のお菓子を基準に「こっちの店の方が~」「あっちの方が~」って味を楽しんでいるみたいです♪

    至宝展、東京→大阪→福岡なので、東京の企業人様には難しいかもしれませんね(涙)。
    仏像も京都展では7、8体あったと思います。
    外人さんが恋人を見つめるような眼で、一体の仏像をずーーーと鑑賞なさってました。
    もうね、、その方の心は仏像に吸い込まれていましたよ(笑)。
    仏像を見た時に、企業人様の事を思い出し、鳥毛の陣羽織を見て「動機様!!鳥が、鳥が~、鳥の毛って、すごい耐久性があるのね~!!!、」って動機様と、我が家の鳥ちゃんの事の事を思い出したり、、(^_^;) の私でした。
    いや~、ここでは書ききれないほど勉強になりましたし、お菓子をゲット出来なかった事以外は、本当に良い一日を過ごせたと思います。

  5. 【2330966】 投稿者: 老眼  (ID:cJoehyhsfQ2) 投稿日時:2011年 11月 18日 00:52

    >「私は、わが国の国家目標を●●●●●だと考えるが、総理はどうお考えになられるか?」 こういう質問でなければ、おかしいですよね。 (無常感さん)


    ええ,国会のみならずどの議論にも出てきませんね。
    新しい国家目標として「国連での日本語の公用化」。
    過去の国家目標は,「中国化」に始まって,「西洋化」と推移,
    もう取り入れるべき目標はないのだから,
    こんどこそ,日本を世界に取り込ませる。

  6. 【2330997】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 18日 05:07

    老眼さんから「国家目標」という言葉を拝見したとき、
    なにやら、なんとなく居心地の悪い違和感を感じたのですが、それって何なんだろう・・・と
    ちょっと思っていたのですね。

    たとえば株式会社であれば、その会社設立の目的があってそれが定款にうたわれる。
    株式会社の「会社目標」は、表現はいろいろあるにしても、当然のことながら
    その目的に沿ったものになるわけですね。
    同じように、もし、「国家目標」というものがあるとすれば、
    それは国家をつくった目的にしたがうのであろう・・と思うわけですね。

    ユダヤ人において国家は、神との契約がその前提条件としてあります。
    神との契約を守らないと国家は成立しません。
    また、欧米人の考える国家とは何か・・個人がもつ神から与えられし自然権を守るために、
    その権能を国家に委ねるという思想が背景にある・・社会契約説ですね。
    そういう国家観であれば、自ずから「国家目標」たるものが出てくるのであろう・・そう感じました。

    しかるに、日本はどうか?・・日本という国の成り立ちがどういったものかというと、
    日本書記では、アマテラスオオミカミが、ニニギノミコトに土地(日本)を与え、皇統が永遠に続くこと
    を宣言しています。
    ここで重要なのは、神から「無条件」に与えられる ということなんですね(ユダヤ人と全然違いますね)。
    国家をつくった目的など無くて、すでにそこに国家は有る・・それが日本という国です。

    われわれ日本人にとっての国家というのは、
    地震、雷、火事、親父・・ある種、自然現象と似たようなものなんでしょうね。
    社会契約説をベースとした日本国憲法を読んでピンとこないのは、そういうことが背景にあるのではないか
    と思います。

    私が・・総理に質問するのなら、まずは、その議員が、国家目標を語るべきでしょう・・と書いたのは、
    別に民主党支持というわけではなくて、ちょっと皮肉感をこめて書いたのですが、
    国家をつくった目的が無い日本で、どんな国家目標を語っても、それは陳腐に聞こえざるを得ないという意味です。

    目的があろうと無かろうと、すでにそこに国家(自然現象)は有るのであるから、国家目標としては、
    国民そして世界の安寧を祈念する・・そういったものしか出てこないだろうと感じた次第です。

  7. 【2331044】 投稿者: 適性  (ID:t1.dxHih86A) 投稿日時:2011年 11月 18日 08:06

    ■老眼さん。

    >たとえば株式会社であれば、その会社設立の目的があってそれが定款にうたわれる。
    >株式会社の「会社目標」は、表現はいろいろあるにしても、当然のことながら
    >その目的に沿ったものになるわけですね。
    >同じように、もし、「国家目標」というものがあるとすれば、
    >それは国家をつくった目的にしたがうのであろう・・と思うわけですね。

    会社の定款の目的は、単なる商売の「内容」であって、追加も、削除もできるものですし、
    「会社の目標」を縛るものでは、ありません。

    神との契約とは、まったく違います。

    >ユダヤ人において国家は、神との契約がその前提条件としてあります。
    >神との契約を守らないと国家は成立しません。
    >また、欧米人の考える国家とは何か・・個人がもつ神から与えられし自然権を守るために、
    >その権能を国家に委ねるという思想が背景にある・・社会契約説ですね。
    >そういう国家観であれば、自ずから「国家目標」たるものが出てくるのであろう・・そう感じました。

    神との契約を大前提とする社会では、特に、イスラム教などは、宗教法律があって、それに反する目標はできないでしょうね。

    ユダヤ人はユダヤ教だとして、現在も多くが放浪の民であって。ユダヤ人の国家観が(ユダヤ国家の完全な樹立?)あるのでしょうが・・イスラエルを見ると・・なにも叶っていない。「国家目標」ではないでしょうか
    べつにいいですけど、それ、日本人が欲しい、すばらしい国家目標でしょうか?

    ユダヤ人は、国家的に見れば、基本的には、連戦連敗なのですよ。
    歴史の大部分が、厳しい歴史です。
    その中で、一神教を作り出し、そこに、自分達のうまくいかない原因を、神の意志に背いているいるからだと思いこみ、さらに、それを強化してきたのです。
    うまくいかないのは、神は、全世界の神であって、自分の民だけの神ではない。だから、自分の民だけを考えているわけではない。(でも、その神の存在に気づいていない、異教徒より、「いつかは」うまくいく)

    私たち、日本人は、神の言葉を意識せずに、国家目標を考えることが可能ですが。
    一神教の人は、神の意志にそった、国家目標を、無意識に考えるのでしょう。(受け入れられないから)

    >国家をつくった目的など無くて、すでにそこに国家は有る・・それが日本という国です。

    それは、そうでしょうね。だから、稀有なんですよ。世界的に見て。(天皇を頂点とした国家としての連続性ではね)
    本当は、国家目標なんていわないくても、「国家が永続」すればいいと、世界のだれもが思っていることでしょう。だって国家目標は「国家が(よりよく)永続」することですからね。

    >国家をつくった目的が無い日本で、どんな国家目標を語っても、それは陳腐に聞こえざるを
    >得ないという意味です。

    しかしながら、日本の問題は多く、それを、クリアするのが、当面の「国家目標」ですけど、それは、国民をその気にさせる「国家目標」ではない。わけです。

    TPPに打ってでるなら、日本は本当に、『利他的国家』になる必要があります。これは、「日本がなくては、世界が困る」という価値を持った国ということです。
    その価値は、これだから、優先順位は、これだという必要があるのでしょうね。
    その時に、教育の優先順位が高いに決まってますし。
    世界に、信頼される日本人を作る優先順位が高いでしょうね。
    日本人は、ごまかす、うそつく、隠蔽する・・・では困ります。ねえ無常感さん。

  8. 【2331224】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 18日 10:53

    地域、時代様

    アドバイスありがとうございます。
    地域、時代様に後押ししていただけると、もっとよく考えねばという想いに弾みがつきます。

    >現実は一人の歩兵、ちょっとした悪役の後ろにも親がいて兄弟がいて、、一人の歩兵の死も、武将の死と同じ悲しみを身内に与えるのが「人の死」ですよね。

    同感ですよ、仰ることはよくわかります。
    私は、「利他的行動と主体性の関係」、「属性の多様化が利他性を促進する」......大げさに云うとこれらの原理を知りたいのです。その要因を考えるときに「悲しみ」という感情をomitしたいのです。弱点様にも申し上げましたが、感情という価値観を思考にプラスすると、私にとって真理が遠ざかってしまうのです。思考の途中で善悪の判断が伴う為、それ以上先に進めなくなってしまうのです。もしくは、善悪に引っ張られて枝道に迷い込んでしまうんです。ですのでコレは、私の思考する際の癖ですのでご容赦ください。

    >「~主体性を発揮し難い環境になるのか?ならないのか?」の話なのですが
    それは「調和」している状態ではないでしょうか?

    なるほど...「調和」ですか....深いお言葉です。
    地域、時代様に「調和」というヒントをいただいて思考錯誤しております。

    音楽を例してくださってありがとうございます...それをきっかけに思考することができました。
    「音楽」=「十二音階(教会旋律)」に限定するなら、「音楽」とは、音程、時間軸(リズム)の二つの掟によって成り立っています。この掟に従って様々な属性(音楽のジャンル)があるのだと思います。とりわけ、私の生息域であるJAZZの世界は、調和という言葉とは無縁とも感じられる激しい自己主張のやり取りでございました。しかし、よくよく考えてみるとプレーヤーが激しい主張をしている際にもバッキンングしている他の演奏者は、プレーヤーが気持ちよく主張できるようにサポートに徹し、プレーヤーが迷ってしまった際には、演奏中にアドバイス(楽器で)さえしてくれます。そういうことひっくるめて「調和」に向かおうとする意思のようなものを感じたことは多々あります。
    確かに、報酬や対価ということを除外して、この属性をより良くパフォーマンスさせたいという欲求はございます。これも利他的行動ということなのかも知れません。

    考えがまとまっているわけじゃないのですが、属性の中での利他性と、個人としての利他性を主体という関係から考察すると違いがあるように思うのです。
    ・属性の中での利他性は、主体性を必ずしも必要としない。
    ・個人としての利他性は、主体的判断が不可欠。

    福島第二原発での事故を考えると、個人の利他性を発揮すべきところ、属性の中の利他性を選択してしまったのでは.....という疑問です。個々の主体性の希薄化が属性への利他性を優先してしまったんじゃないのかって....そんな疑問について試行錯誤中です。

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