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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2393668】 投稿者: 公立一貫は良いことだ  (ID:L26orB5ME.Y) 投稿日時:2012年 01月 22日 10:36

    量的さん

    重量級のレスありがとうございます。
    後半楽しみにしています。
    これから出かけますのでまた楽しみにさせていただきます。

  2. 【2393672】 投稿者: 視点  (ID:1pHT5OfLTaw) 投稿日時:2012年 01月 22日 10:37

    量的さん

    >視点さんはレッテルを張るのがうまいので、盛り上がりますネ。
    ・・・・・

    >>かつて、公立の時代・・みんなとの学校行事を放ったらかしてガリ勉するのは、
    >>「恥ずかしい」ことだったわけですね
    >>受験私学はそういった社会から生徒を隔離して、堂々とガリ勉をする環境を整えている。
    >>しかし、この場合の「恥ずかしい」といった感情は、社会で生きていくうえで、本来、必要なものではないのか・・


    ↑は無常感さんの書き込みですよ。

    私の書込みは↓だから、コメントはこちらに対してお願いします。


    「無常感さんのここの指摘は大切ですよね。

    フライングやドーピングで有利な環境を整えて東大や医学部を目指すなんて、ホントは恥ずかしいと思うべきなのですね。
    それが、金まみれに塾まみれで東大や医学部を目指す。
    そういうことが堂々とできる環境を整えているのが中高一貫私立ですね。 」

  3. 【2393678】 投稿者: 量的  (ID:FUkKPzZ.MIU) 投稿日時:2012年 01月 22日 10:44

    公立一貫さん、
    (続きです)

     「政府の側と学生を持つ家庭の側の両方の視点から見て、改めて大学とは何か、どう位置づけるべきか、が、今ならではの、大事な議論だとの思いです」という量的の思い、そして公立一貫さんの「そもそも論として、大学の在り方自体に問題が あるのではないか・・・つまりそんなに多人数が進学する価値があるのかと。」思いの絡みから、議論を進めてみます。今、学校に頼らないで成立する学習とは非常に多いことに気がつきます。後半部分では、敢えて、大学の学部の括りのあり方に則し、いくつかの典型的分野例で見てみようと思います。


    (1) 法律、経済系、
     本で学ぶ部分は、かなり情報公開がされているように思います。ヨーロッパ中世や本のない専言お時代とは違い、本は比較的安く、インターネット・電子書籍までもがいまは利用できます。情報の検索機能も発達し、セレクションも事前にできる。高名な先生の直接指導を受けるとは4年生から大学院の時代に掛けてになりますし、今や大学院が、他学部学生や他大学学生、留学生にかなりOPENになっています。このなかで、キャリアパス・ルートとしての法文系は以前よりも複線的ではないでしょうか。文系特有のヒエラルキーは勿論、あるものの、違う生き方も実力があればある時代。

    (2) 理工系
     研究設備・研究予算がある理系大学ではまだまだ国立大学優位は動かしがたいものですが、産業界のニーズとずれたところであったり、産業界が自前の研究開発でカバー出来てきていることが多い中で、産官学連携というのは、限られた分野だけのほんとのニーズで、全体は受け身の予算獲得の言い訳になりやすかったりします。Proactiveに大学が動いているという印象はほんとのところ少ない。(医学部については、それほど詳細に明るくありません。研究分野は理系に近く、臨床医師の現場の世界は、最近では企業の理工系戦士に近くなったのではないでしょうか。)企業は、前に書いたように大学名学科というよりも出来る学生、トレーニングされたがほしい。だから、公募に応募してくる学生よりも良い先生により育てられた学生の一本釣りなどにも注目する場合がある。(とすれば学校歴がアル学生にプレミアムが、結果としてつくケースがアル可能性あり)

    (3)人文教養、語学系
    比較的変わらぬニーズだが、学びがこれほど多様で、渉外教育までアル中では、大学のあり方は、かなり流動的。大学なのか、カルチャーセンターなのか、わからない部分に流れ出している教育組織もあるように思われる。語学は、マイナー名学部ほど価値があるが、英語などは、益々、語学だけでは食べて行けない。高校生、大学世で英語だけは、という生徒・学生はそれプラスαが必要であることに気づくべき時代。


    (4)大学(全般)
     大学の人気とは本来、ニーズにより絶えず変化にさらされますが、意外に盲点なのは、親の関心が分かり易い・見やすい「結果」にしか存在しないことにあります。就職とか。高校・大学時代の土台の重要さは、はかり入れないモノで有り、個人の埋もれた才能を磨き上げる機会を逸することは大きな損失です。わたしが他の人とことなる見解を持っているのは、親子、ひいては学校の持つ「極度の現役進学主義」と大学似入ればOKという意味の結果主義です。<高校を4年にして、3年から一応、大学を受験しても良いとしたり、九月入学で7-8月試験が望ましいのではないかと思っています。> 大学野教養という、一般教養の教授の一般にゆるい講義を聴く価値は低いと思います。(大学人は言いにくい意見でしょうが) 今のセンター試験、二次試験は機能していると思っている一人ですが、高校3年間で大学4年間というのはバランスが悪いとの感覚はあります。高校4年で、文系は大学3年、理系は大学4年でもいいのでは、と思い始めています。そうすれば理系は大卒で現在野一年遅れに一件成増が、院卒ベースになっている就職が、4年卒業での就職に変わる部分画あり、短縮になると思います。資格を取るために院(修士)に行く部分を変えるというアイディア/試みの議論です。


    (5)大学院
     大学からすれば、少子化の時代、国民皆大学院時代は望ましいでしょう。理工系の先生は修士課程の学生の研究面でのマンパワーをとても当てにしています。企業も一見すると、院生をとろうとしているように見えますが、それは単に4年生よりうも院生の方が、理工系では油集であることが定着しているにすぎません。本当は、優秀な4年生を企業内で育てて開発に当てても、さほど問題無い、差が無いかもとの感覚はあるように感じます。

     一方で、これほど社会の先端技術が様々な分野で進んでいる今、直ぐに陳腐化しそうなタコツボ専門教育のニーズは依然として少しあるものの弱い。むしろ情報を自分のものにするメタ的な意味の知識。ノウハウを使いこなす、知的生活の定着。あるいは文系的センスの理系とか、新種の切り口ができる才能が、かなり明確なビジョンで求められる時代だと感じます。欧米人に負けない日本の理工系の人材とは、なにか。国語力や、歴史的な物の見方を備えた、挑戦意欲のある若い世代。しかも、須賀区物理などの積み上げもやっている。 だとすれば(4)のような年限の変更は視野に入って良いのではないでしょうか。


    (6)高校時代の重要
    今一度、高校時代の重要に触れたいと思います。科目で分断されたくこうの講義は改めるべきで、古典・日本史、あるいは世界史あるいは芸術、と縦横に工夫して組み合わせ知的刺激が盛り上がる授業が求められます。いま、そのような学びをしている私立中学校はあると思います。でも、こういうことをやれば、今の3年間の高校での受験では、都立高校・地方公立や、さらに受験に標準を合わせている高校に若干劣位のポジションになります。わたしの感覚では浪人したひとは、そういう勉強の性癖がある人も多く、実務に近いような分野にあっては、回り道の浪人生ののびしろがあるような分野があるように感じられます。(一方、数学や理論物理など、頭の良さがはねいする分野では、現役進学生が伸びて良い結果のようにも思われます。) 全体としては、本当に出来る生徒は、若干の早期学習で進ませ、その他は高等学校教育で、全人的な部分やさまざまな知の様相を学ぶことを手厚く行うアイディアが、あるように思います。


    (7)変化の可能性へのVision あるいは まとめ
    わたしは、大学そのものが変わるというのは、あまりトップダウンではないのではないかと思います。経済原則。
    それなりにニーズの上に成立しており、しかも、競争環境が出ているからです。社会のニーズ、家庭のニーズからの変貌です。むしろ、そのような大学の変化の中で、高校教育との接合のギャップを埋めることが核心のひとつで、併せて高等学校(中高一貫校なら1-6年までの学び)と大学、社会での学びのリンクの目線の必要です。高校での教育の意識を変えることができるかどうかは、まだ見えていません。わたしが取り組んでいるような、セミナーも、目的は勿論あくまでセミナ-それ自体の実施の価値とその副次効果であるわけですが、別の果実・副産物として、「学びのシーンを様々な関係者が高校の教育を自ら考える貴重な情報・メッセージ」として活用できれば、良い循環で最後には大学の教育・あり方まで変わる流れになるのではないか、という感覚があります。一言で言えば、高校における学びの見直しからはいって、大学の変化に期待する、これです。(*)


    以上です。これらは今、短時間で書き飛ばしたもので、章立ても記述も、再考の余地有り、と思うのですが、
    ホットな議論の叩き台として投稿してみます。わたしとしては内容は3-4年考え続けているモノです。


    (*)
    本来、家庭教育が大事という点について本考察で一切書いていませんが、これからの高等教育にはそれが不可欠ではないでしょうか。学校という道具立ては、極く全体の一部であることを、再度、註として書いておきたいと思います。

  4. 【2393683】 投稿者: 視点  (ID:1pHT5OfLTaw) 投稿日時:2012年 01月 22日 10:50

    >スポーツや芸術なら、親が自前で環境を整えるのは普通です。それと似たようなのが私学逃避ではないですか。


    一部の人が選択するスポーツや芸術と、全員がすべき勉強とを同列に論じたらだめでしょう。


    >地域の私学に満足できずに、公立学校に通わせながら独自に教育をする家庭もありますし。


    それは、私学の選択肢がある家庭のこと。
    つまり経済的余裕がある家庭。


    >日本ぐらいの社会格差なら、図書館やテレビ、ラジオ、インターネットの利用で克服できる程度ですよ。


    これは、実際にした人が初めて言えること。
    東大理Ⅲや京大医学部など、そもそも公立出身は皆無に等しい。


    >そもそも日本の様な先進国に生まれた事自体が、世界的に見れば”ずるい”でしょう。


    だからといって、金まみれ、塾まみれで東大や医学部を目指すことが恥ずかしくなるわけではありありません。
    日本に生まれたことが恵まれているなら、自分の幸運に感謝すればいいことです。

  5. 【2393687】 投稿者: 量的  (ID:FUkKPzZ.MIU) 投稿日時:2012年 01月 22日 10:53

    ↑ 私の器の限界がスコープの限界であることは承知をしておりまして敢えて書いています。叩き台としてお読み頂ければ幸いです。また、今、書いたことは”上から目線”で整理をしてやろうというような思いでは決してなく、可能な限り問題を解きほぐして考えを進めてみたいという部分です。お読みの方には、どうぞご寛容のほどをよろしくお願いいたします。

  6. 【2393714】 投稿者: シルバースプーン  (ID:vG4cynOK5Vw) 投稿日時:2012年 01月 22日 11:18

    無常感さん

    いやいや、Bはその会社の社員、Cはその船の乗客の発言
    を想定した例文ですよ。
    ここで「我々」を持ち出す必要性が分からない。
    AもBもCも、主語に対する関係者の発言という点で変わりはないでしょ。

    要は、
    BやCのような「ある特性をもった人間を批判する際の構文」を
    無常感さんはわざわざお選びになっている、ということ。
    (汽船さん、採用担当さんも書かれたように、
    そう感じているのは私だけではない)

    そうではない、とおっしゃるのであれば、
    そうは受け取られない表現・構成で主張されるべきだ、ということです。


    >ただ、ご覧のとおり、なかには私を論破したい方もいるのですね。

    少なくとも私は、論破したいとは思っていません。

    「会話させていただく相手として信頼できる人物か否か」
    を確かめたいだけです。

  7. 【2393735】 投稿者: 動機が大事だよね  (ID:xOfkYZRkWgo) 投稿日時:2012年 01月 22日 11:34

    あの~・・・・無常感さんは「ああ言えば上祐」の典型だから・・・・質問しても無駄だと思いますよ。


    昔、京大法学部出の男がいて何にでも一理屈つけてきた。最初は皆大した学識に感心したものだがそのうちそいつの言っていることは「本の受け売り」か・・・・ただ「相手をやり込めたいゆえの言説」・・・・と分かってきた。


    要するに実がない虚の人物と皆が見抜いたのです。別にいじめたわけではないのだが・・・・そいつは自分でも何が実で虚か分からなくなったのだろう・・・・数年後ぶつぶつ言い出して精神病院に入ってしまった。


    根本的さんが1人真摯に対応していたのに・・・その人にまで見捨てられて・・・・・・こういう人を口舌の徒・・・あるいは「巧言令色少なし仁」の典型と言うのだろうか?

  8. 【2393745】 投稿者: 視点  (ID:1pHT5OfLTaw) 投稿日時:2012年 01月 22日 11:45

    書き込む人の属性に拘るのは不思議。


    正しいことばかり言う人もいないし、間違っているとしか言わない人もいない。
    誰が書こうが正しい意見だと思えば、なるほどと思えばいいし、間違っていると思えばそう判断すればいい。
    「人格批判」は意味ないと思いますよ。



    根本的さんが拘るのが意外ですね。

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