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【2043250】私立中学の価値 2校め

投稿者: ようこそ!書き込み歓迎   (ID:4Xzxz71IPe2) 投稿日時:2011年 03月 02日 23:08

既スレが調子悪いので、とりあえず立てておきました。

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  1. 【2323381】 投稿者: 老眼  (ID:cJoehyhsfQ2) 投稿日時:2011年 11月 11日 02:55

    信頼感さん
    今風呂に入りながら,先ほどのことを考え続けていたら,みえてきました。
    忘れないうちに書いてみます。


    【人格】・・命だけに関わるその人にとっての本質的なもの
        ・・・これに影響を与えるものは2つだけ
           1つは安心感,1つは信頼感
    『人格』・・【人格】以外の,そのひとの考え方・性質を作り出すもの
        ・・・これに影響を与えるのはたくさんある
           その人が生きている文明・国家・文化・時代
           その人の生い立ち,家族構成,友人関係,職歴etc・・  


    たとえば,自立・自立を求めて子供を育むときに,着目すべきは【人格】の形成。【人格】に影響を与えるのは安心感と信頼感。だから,安心感と信頼感を子供が獲得するにはどうすればよいかを考えることが,自立・自立を求めて子供を育むときのニュートラルな思考となる。安心感と信頼感の獲得は生後まもなく(胎児期もかな?),から始まるので,その時期からのアプローチが必要。トイレトレーニングの時期はとりわけ重要。そして,安心感と信頼感の獲得には母性と父性が欠かせない。安心感と信頼感を十分獲得できれば,自立・自律もできるし,小学校での強制的な要素にもストレスを感じることなく対応できるようになる。それらは,中学以降の,さらなる学問その他の自立・自律にも自然と繋がる。中学以降は,子供を信じて任せればよい。


    たとえば,いじめの問題でも,理解をするには,着目すべきは当事者双方の【人格】。つまり,いじめが発生した時点での,当事者双方の安心感と信頼感の獲得状態の分析が本質であって,『人格』や「『人格』に影響を与えた背景因子」の分析をすることは本質的なものではない,とする考え。
    わたしの例で言えば,わたしと大将のその時点での安心感,信頼感がそれぞれ,どれだけ形成されていたか,形成が不十分であった場合,その理由は何か,を考えることが,真の理解に繋がるだろう,ということ。


    以上が,信頼感さんのお考え,(1%ほど,自分の個人的希望もこっそり付け足してしまいましたが),でよろしいでしょうか?

  2. 【2323390】 投稿者: 老眼  (ID:cJoehyhsfQ2) 投稿日時:2011年 11月 11日 03:31

    信頼感さん


    主体は子供として・・・安心感と信頼感
    安心感は,1方向性・・子供が養育者(親)や先生に対して抱くもの
    信頼感は,2方向性・・同上,プラス,子ども自身に対して抱くもの


    わたしの子供は一番下が学童期。それでも,この安心感と信頼感をきちんと獲得できているかもういちどゆっくり静かに確認してみようと思います。
    幼児期の安心感と信頼感の育み方を信頼感さんから教わりましたが,学童期は学童期なりの安心感と信頼感の育み方がきっとあるはずで,それを行うのが親の役目と気がつきました。子供が何か,人間関係,学習etc・・・につまづいたときにも,要するにここに立ち返ればいいわけですから。その場しのぎにならない,非常に有効な信頼性のある方法を教わることができました。


    考えて見ますと,職場関連の人たちについても,互いに,この安心感と信頼感は基本中の基本であるにもかかわらず,普段意識したことはありませんでした。さっそく,明日から,そのあたりを意識して,人と接しようと思います。


    いままでは,自立・自律が大事と言ってはいた物の,なぜそれが大事なのか,なぜその時期に大事なのか,どうすればそれを育むことができるのか・・モヤモヤとしか認識できていませんでしたが,ようやく,腑に落ちました。心より感謝もうしあげます。


    また,おかげさまで,ニュートラルな思考も,できそうな気がしてきました。

  3. 【2323406】 投稿者: 無常感  (ID:k9eWi1uClxY) 投稿日時:2011年 11月 11日 06:17

    未来さん

    >はい、数学はこちらの塾
    英語はこちらね。

    そうですね・・受験だけ出来れば良い というのが露骨なんですよね。
    これでは、学力、教養は身につかないでしょうね。

    >オリジナリティって自分自身の摸索から始まりませんか?
    >韓国が、ノーベル賞がなかなかでないのは
    >もしかして、教育が競争しすぎて
    >創造を伸ばす時間がないのじゃないかな。

    いままでの日本のノーベル賞受賞者は、ほとんどが公立高校出身者ですね。
    やはり放置主義の方がよいのではないか・・

    学校教育、塾で「詰め込み教育」するのは、ダメなのかもしれませんね。

    >今の生き方ってお金がなくても
    >工夫して、趣味や自給自足に取り組むっていう
    >価値観も生まれてきましたよね。

    おっしゃるとおりですね。

    若いうちは、刹那的予定説で金のためにガリガリやればいい。

    ・・でも、年齢を重ねたら、
    もっと深いところへ、ステップアップしないといけませんね。

    それも、無常感かと。

  4. 【2323414】 投稿者: 無常感  (ID:4kIlc78v5F2) 投稿日時:2011年 11月 11日 07:03

    信頼感さん

    会話の想定問答・・

    作りましたね
    電話をする前に、友達に相談したりして。

    やたら複雑なフローチャートが出来ていたりで ・・ まあ、多くの場合は電話の入り口で、撃沈するわけですが・・

    仕事も、似たようなものですね。

  5. 【2323422】 投稿者: 無常感  (ID:4kIlc78v5F2) 投稿日時:2011年 11月 11日 07:25

    凡才さん

    おっしゃるとおり、
    このスレ、速いですね。

    私も仕事以外の時間に読んでるので、ついていくので精一杯です。

    金融機関はあくまでも経済の黒子であって、主役のメーカーさんにがんばってもらわないと日本の将来はありません。

    そういった意味で、オリンバスの件は残念です。

  6. 【2323440】 投稿者: 適性  (ID:aJkPejBxtWc) 投稿日時:2011年 11月 11日 08:04

    >そうですね・・受験だけ出来れば良い というのが露骨なんですよね。
    >これでは、学力、教養は身につかないでしょうね。

    『受験だけ』・・『露骨』・・ですか。

    塾は、第一の目的は「子供に勉強をできるようにする為」なので。
    「意図的」に、書けば、そういう表現にすることができますね。
    (状況によっては、それだけの効果ではないのですが・・ここではいいです)

    さらに、

    >いまの私立中高一貫校は、単なる塾であって・・・

    というのも、無常感さんお主張なので・・・(私は、単なる塾とは思っていない)

    結局は、中高一貫校の生徒は「受験だけ出来れば良い というのが露骨」な人間ということになるでしょうか・・・ね。

    受験『だけ』・・・ですか・・・、それは、本当なんですか?
    まあ、そんな、人間は、社会で生きていけるわけがないのですけど。

    >これでは、学力、教養は身につかないでしょうね。

    「無常感」さんは、自分は、教養のある人という、自己認識なんでしょうが・・・
    まあ、多くの無常感さんの発言を読んで、「教養?」それがどうした?って思ってしまうのでね。私は。

    無常感さんの持っている「教養」と、
    私の、思っている「教養ある人」とは、まったくイメージが「まったく」違うのでね。

    発言、主張、行動、立ち振る舞い、から「教養」が自然と、滲み出すと思うのだけどね・・・・・
    「教養的?知識」と「教養的?振る舞い」がある程度、リンクしなかったら『意味ない』だろうね。

    「教養?」ある人は、いったい、「どういう方法」で、他人とコミュニケーションとるのでしょうかね?

  7. 【2323471】 投稿者: 信頼感  (ID:LXTwhB0V4Ss) 投稿日時:2011年 11月 11日 08:46

    老眼様

    >人格を構成する要素は2つあるというご意見,・・と理解でよろしいでしょうか。1つは自分の命を守るだけの【人格】(信頼感さんの影),1つはそれ以外にかかわる『人格』(信頼感さんのペルソナ)。

    ご存知だと思いますが、これはユングの提唱しているものです。ですので私の偏った話じゃなくてユング研究家の書物を参考にされてください。適性様ご紹介の河合先生など多くの著書がございます。

    >信頼感さんによれば【人格】は命を守るためだけにあるもの。
    としますと,その【人格】に個人差はほとんど存在しないのではないかと思うのですが・・。

    途中の質問をすっ飛ばして、↑部分を説明させていただきます。

    「影」の領域には、意識域、無意識域があると思うのです。「影」の中でも比較的、本人が気づける意識域と、本人には、状況証拠を辿らない限り殆ど意識できない無意識域からなっていると思っています。そして「ペルソナ」は意識域だけと考えています。
    便宜的に、「ペルソナ」=意識域、「影」=無意識域としても問題ありません。

    「影」は、生命を守る為にあると申しました.....そこに至る個人差は正に千差万別です。
    「影」の構成要素は、コンプレックスです。コンプレックスは、抑圧、逃避、虐待から自己を否定しないように自己以外を否定し責任転嫁することで自己否定を回避しようとする歪んだ感情、もしくは、その感情の複合体です。コンプレックスは、無意識下で成長します。成長とは、同じような局面に出くわす度にコンプレックスが発動し、より強烈に責任転嫁を繰り返すからです。どんどん繰り返すうちに起因になったこととはまるで関係ないかのような妄想的言いがかり、反社会的思想にまで発展することもあります。(ヒトラー等)
    例えば、容姿に関してコンプレックスを持っていた場合、個人差は千差万別です。
    一言で「命を守る」と申しましたが、自己否定に至コンプレックスの核部分は、様々であり、例え、核部分が同じであったとしてもコンプレックスの責任転嫁方法も様々(他人に向かうか、社会に向かうか)であるため、「影」の差がないということはございません。そして、高い論理的思考力を持った方のコンプレックスは、それ故緻密であり(責任転嫁が自己の中でバレちゃダメなので)自分自身でも気づけない場合があると推察されます。

    >「その【人格】にとって大事なことは,誰にとっても共通のはずである」
    という論理展開になりますか!?

    説明の通り、そういう展開ではございません。

    老眼様とお話させていただいて、「ペルソナ」「影」を人格と記載しましたが、人格ですとそれぞれに、意識、無意識が、独立して存在するかのようなイメージでした。
    ですので、「ペルソナ」「影」は、人格→態度に訂正させていただきます。

    >自己の生命を守ることだけに特化しているはずの【人格】が,命を守るという行為とは異なる「責任転嫁」という行為をする。「責任転嫁」をする人格は『人格』の役割であるから,ここに矛盾が生じる,という理解でよろしいでしょうか。

    多分、同じニュアンスだと思います。
    「ペルソナ」=社会的善の態度であるため、善であるべき方向へ進む際、どうも上手に処理できない部分が発生し劣等意識が生まれます。その劣等感を源に「影」がコンプレックスとして無意識下に作り上げます。適性様がゴミ箱のようにふくれあがると称されていましたが、正に類似する劣等意識は、ひっくるめてそのゴミ箱へ放り込まれるので負の感情の複合体となり、やがて発酵熟成を経て、強烈なニオイを発することになるのだと思われます。
    「影」の中身は現実社会とのギャップで作り上げられたコンプレックスなのですが、同時に、コンプレックスを統括し心の安全装置として極めて需要な働きを制御していると推察されます。


    取り急ぎ、1つめのコメへの返信です。

  8. 【2323607】 投稿者: 地域、時代  (ID:NTVFNX5ppX6) 投稿日時:2011年 11月 11日 10:45

    無常感様

    一つ質問

    「諸行無常を生きる」ひろさちや

    私は無常感様の無常「感」と無常「観」の違いが明瞭に理解できなくてね。
    ??となっていたのですが、先日、本屋さんでこの本を見つけました。
    無常感様の投稿者名の「感」はここからヒントを得てらっしゃるのですか?

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